小さなかぶといっぱいおった
ママが糸でつないでくれたよ。
千かぶと
なんちゃって!
「この道は、うなぎ道っていうんだよ」
「うなぎのように曲がりくねっているからなの。」
「いや。うなぎの荷を乗せた馬が通っていった道なんだよ。それにこの道は大杉みちとも言われているんだ。」
むかしから、利根川や手賀沼のうなぎはたいへんおいしいので、江戸の人に喜ばれていました。川や沼でとれたうなぎを、生きたまま、早く江戸に運ぶのに利用されたのが、うなぎ道です。
水揚げされた川のうなぎは布施から、沼のうなぎは戸張から、高田を通って加村河岸(かむらがし)<流山>まで馬で運ばれそこから、船で江戸川を下ったのです。途中、高田の水切り場で水をとりかえました。布施から一時間、少しつかれたうなぎは、大地からわき出る清流にひたって、息をふきかえしたということです。
うなぎばかりではありません。布施から加村までの、つけ越し<(補足)1>の荷駄(にだ)は、ひっきりなしにこの道を通ったそうです。
補足)
1 つけ越し 舟で運んできた荷物を馬にのせて運ぶこと
むかし、むかし、あば<茨城県稲敷市桜川地区>の大杉さまのおみこしが、たかの<埼玉県幸手市>まで、十二年目ごとに出向いていったのもこの道です。供の者にかつがれた大杉さまは、あばから川を渡り、高田を通りまた川を渡ってたかのまで行きました。帰りは、高田へおとまりになるのも、十二年目ごとのしきたりでした。
ある年のことです。たかのからの帰り、大杉さまは高田のお仮屋(かりや)<(補足)2>にお入りになりました。お仮屋のうしろは、熊野神社の森につづき、前は広々とした水田です。
「ことしも豊作まちがいなしだ。大杉さまがおとまりになったもんな。」
「見ろ、あの稲を。大杉さまはありがていよ。」
「大杉さまもお疲れだろう。うんと食べてくんろ。」
高田村の人々は、大杉さまのお仮屋に集まって、野菜・山菜・くだものなど、村でとれたものを、いっぱいお供えしました。つきたての餅や新しいお酒を供える人もいました。
朝になりました。いよいよあばへ帰る日です。供のものたちは、おみこしをかつごうとしましたが、地面へぴったりとはりついたように動きません。見送りにきた村人も手伝いましたが、びくともしません。みんなただおろおろするばかりでした。
その時、どこからかきれいな声が聞こえてきました。
「私は大杉さまの娘でございます。いつも私をあたたかく迎えてくれてありがとう。私は高田村がたいへん気に入りました。これより、この地にとどまることにいたします。」
村人たちの間から「ワァッ」と喚声があがりましたが、やがて人々は、ヘタヘタと地面に座りこんで、大杉さまをおがみました。
「ありがてぇ。高田村に大杉さまは毎日おられるのだ。」
「高田はもう、いつも豊作だど。」
「疫病神もよりつかめえ。」
村人たちは、りっぱなお宮に大杉さまをまつり、夏になると、舟の形をしたおみこしを、かつぎまわったそうです。
「女の神さまだから、がっち、がっちともまねえで、すうい、すういとかついだもんだ。」
大杉のおばあちゃんは、そう言っていました。
その後、お宮は火事になり、おみこしも焼けました。いまはお宮だけが熊野神社の境内にあります。すうい、すういとねりあるく祭礼はなくなりましたが、七月の祭日には、年番<(補足)3>の人たちが、色紙でつくった花と木版ずりのお札を家々にくばって歩きます。
(補足)
2 お仮屋 おまつりのとき、おみこしを入れるために組み立てた小さい家
3 年番 一年ごとに交代してつとめること
(柏市ホームページより引用させて頂きました。)